「補完性の原理」、乙!

前々回、東京都議選について触れた。
何か、静岡の地方選挙が一部で話題になってるようだが、
地方政治に関心が集まってるとゆうか、結局二大政党の消長ばっかじゃね?
地方政治と言えば、大阪の橋の下と、宮崎のそのまんまの話題は一息のようで。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090705-00000004-jij-pol
この関連でTVが埋め尽くされる蓋然性があった朝、ちょうど、マイケル・ジャクソンがみまかって、電波ジャックしたので、思わずひとりごちた。
“マイケル、GJ!”*1(不謹慎とのそしりは甘んじて受けます…)
で、「地方分権」って、どーよ?
地方に落ちてきて二年、「地方衰退」だったら、いやとゆうほど目にしてきているものの。
こんな人がいて。
鳩の「友愛」に禿同しつつ、宮崎痴事の真意を汲んでやれと主張する。


それにしても、“鳩の「友愛」に禿同”の内容、これはひどい
引用はじめ:
 ある小学校で、落ちこぼれが出て困っている。このときに、さてどうするか?
 方法(1)「落ちこぼれ問題は教育のゆとりが足りないからだ、もっとゆとり教育を」と国に求める。そして、学力が落ちてくれば、今度は「1クラスあたりの教師の数をもっと増やせ」と言う。
 方法(2)学校のある地域の人で、時間と能力に余裕のある人が手を挙げて、落ちこぼれ対策をする。
 (1)のような方法は、鳩山氏揶揄するところの「上から目線の政治」を容認する市民のあり方である。地域のなかで何か問題があれば、それはすべて国がなんとかすべきだ、ということになれば、国の組織はかぎりなく大きくなる。そして、鳩山氏は「政府による解決はお金がかかりすぎるし、悪平等を生む」と述べたが、まさにそのような結果となってしまう。
引用終わり。
鳩山が反新自由主義の立場に立つように強弁するブロガーが多々見受けられるようだが、上記引用の内実は、「民で出来ることは、民で!」の地方行政版だ。
大先生も、こう批判する。
世に倦む日日 民主党の道州制への政策転換 - 新自由主義の本性が剥き出しに
大先生は、JANJANは左だと述べているが、
どうも、カイカク志向、霞が関への闇雲な批判の点で財界におもねる傾向が見受けられるし、上述論者も、大前研一の手の者のようだ。

JANJANそのものも、新自由主義者と「市民派リベラル」のウサンクサンケイ野合の産物で、腐臭を発していると思って、生温かい目で見守っておりますが(^(00)^;;
また、大先生のエントリ中段の、道州制下における地方の困窮は、あまりに大げさすぎ、
“JAROって、何じゃろ?”と思わんではないが。
道州制の目指すものにつき、東京時代に諸先輩から聞いた、小泉「三位一体の改革」の狙いと符合する。
即ち、その目的は中央政府の荷降ろし」であり、
そのキーワードは補完性の原理」と「選択と集中であると。
霞が関批判を何よりも上におくべきとする上述論者:

これに対する有意な批判@神戸大学・二宮教授:
「自治体格差は当然」が「地方分権」の魂: 土佐のまつりごと
引用はじめ:
橋下知事が「私学はあなたが選んだ」「日本は自己責任が原則」と言い放ったように、地方分権改革」とはナショナルミニマムを破壊し「自己責任論」を徹底するための仕掛けであり、彼が「道州制」にこだわるのは首尾一貫している。
 道州制、「地方分権改革」は、派遣切りなど労働制度の「改革」、医療・福祉を切り捨てる社会保障「改革」など「構造改革」を推進してきた財界の要求である。
 そこには、小泉「構造改革」と同じく、住民が幸せになる明日はない。

引用終わり。
さて、キーワード「補完性の原理」につき。
改憲型分権国家論・批判 備忘録 : 土佐のまつりごと
引用はじめ:
・「補完性の原理」とは・・・ 
「公的な責務は、一般に、市民に最も身近な当局が優先的に遂行するものとする。地方の当局への責任の配分は、その任務の範囲と性質及び効率性と経済性の要請を考慮してきめなくてはならない」(ヨーロッパ地方自治憲章)
引用終わり。
上述の通り、「民で出来ることは、民で!」の地方行政版と読める。
しかし、ヨーロッパでは、「「住民に身近な行政」を自治体に割り当てている。「住民に身近な行政」にまず、公的責任を割り当てているのではない!」のであって、補完性の原理の規定を換骨奪胎して押し付けているのが、財界とその意を汲んだ地方分権推進派である。
補完性の原理について、孫引きだが、触れているブログあり、びっくり(^(00)^)/
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20090630/1246317882
ナショナルミニマムについて考慮せずに、左派=分権派と決め打っているのは何ですが。
「「地方のボスによる治外法権の容認」と言ったかたちでの「分権」」といった指摘は、直感的ではあるが、琴線に触れるものがある。
地方の首長には、山っ気の多い、若い、人気のある、右寄りのry)ようけおるもんな。
かくして、「補完性の原理」で召し上げた、本来地方へ行く筈の金はどこに行くんか?
選択と集中」である。
右往左往する子ネズミたちの政治的役割、(麻生辞任解散劇、その18) - 広原盛明のつれづれ日記
中央政府は、国際競争力強化のために、国際都市の都市再生に資本を傾斜配分する。
大阪の痴事は、大阪湾岸に、“関西州”の首府を構築しようとしている。
東京の珍太郎は、オリンピック名目の再開発(築地含む)や、1m1億円かかる高速道路建設に血道をあげている。
自民・公明・民主は、異議を述べようとしない。
よく書けた。読んでくださった方、ごくろうさま。
でわ。

*1:以下強調は、全て筆者による。