八幡製鉄事件の今日的意義及び、落とし穴。

八幡製鉄という企業は、今は無い。
調べればわかるが、時期は不明だが、高度成長期に、釜石製鉄と合併し、
新法人名は「新日鉄」である。
経団連会長を輩出する、押しも押されぬ大企業である。「鉄は、国家なり!」。
八幡製鉄の経営陣が、自民党献金したことにつき、株主が「法人の目的を逸脱した行為だ」として、訴えたのが「八幡製鉄事件」である。
この事件は、憲法及び民商法の重要な先例とされている。
憲法上の論点は、「法人に、参政権を認めうるか?」
判例は、おKであるという。
憲法の規定する基本的人権につき、判例は、自然人のみならず、法人格を認められた法人にも、人権の性格上認めうるものについては、保障されるとする。
たしかに、法人にも、財産をもつ権利、税金を納付する義務といった憲法上の権利義務が認められることは当然だし、信用を毀損されるような中傷に対する名誉権も認められるだろう。
しかし、法人には生存権、教育についての権利義務は認めえないだろうし、公務員の選定罷免権も認められないだろう。
法人が「社会的存在」であるからといって、政治献金をなすような「政治主体」としての権利性を有するかにつき、大いに疑問である。法人の構成員は、株主、労働者を含めれば多岐にわたり、経営陣がこれら構成員の意思を考量することなく献金を決定し、実行することは失当であると解される。
民商法上の論点は、「政治献金は、法人の目的を逸脱した行為か?」である。
このことにつき、判例は、「法人の目的は、制限的に解する必要はなく、より広く認められるべきだから、逸脱と言ってとやかく言うべきでない」とした。
しかし、旧商法は「株式会社は、営利を目的とする社団法人である」と規定する。
(現行会社法は、このことにつき明文での規定はないが…)
とゆうことは、「株式会社は、営利を目的とするんだから、営利のためには、政治家に献金をしても、目的を外していません。」いうことですね、わかります。
八幡製鉄事件は、学説上企業を免責した判例として評判が悪いが、最終パラグラフを考えれば、「企業の献金行為はガキの使いでわ無い」と認定していると考えられ、今後の政治献金の問題に示唆するものがあると考えられる。
でわ。
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20090311/p1